2011年4月2日土曜日

恵比寿にあった最高のクラブ・次郎長バー。Memorys of Jirocho Bar.



いくらでも酒が呑めた頃、恵比寿のJohnston&Murphyというショップの店長をしていました。
で、昼休みに代官山方面でウロウロしていたら洋服メーカー時代の同僚や知人にバッタリ会う事が多くてエンドーさんという人に「ウチの店の近くに良い飲み屋さん無い?」と聞いて「かおる」という店を紹介されました。


早速、その晩から仕事帰りにそこで飲むのが習慣になりエンドーさんやエンドーさんの同僚で文化の先輩フジタさんと飲む事が多くなり更にその会社には昔勤めていた洋服メーカーの人が沢山いまして、文化の同期生だったサチコちゃんにも再会。



サチコちゃんと、同じく文化の同期のスタイリスト・トノズカカオルちゃんと一緒に飲んでいて『すぐそこの五叉路の角の二階に良い店があるよ。今日は何かのイベントだと思う。』と言われて初めて次郎長BARに足を踏み入れたのです。






入ろうとしたらドアが開かないので力任せに押し開けたら超満員でした。そこにはエンドーさんもフジタさんも通っていて、店に行く階段脇に「クー・ドゥー・ピエ」の営業車がいつも路駐していたのを憶えています。
音楽はワールド・ミュージックというかレゲエ系でエンドウソウメイさんという方がDJをやっていらっしゃいました。




店に入ってすぐにやって来たのが後に親しくなるシオミちゃんで、料金を支払ってドリンク・チケットを貰いました。お酒は色々揃っていて酒呑みにはタマラン!という感じ。

「かおる」さんは御夫婦で営業なさっていたお店で、仕事帰りに食事がてら飲み景気をつけて「次郎長バー」に行くパターン。気分によってさらに渋谷か代官山か六本木のクラブにも。

恵比寿のお祭りの時は「かおる」のお父さんの御厚意で神輿を担がせていただきました。ショップはその間クローズ(笑)。




それからは「かおる〜次郎長BAR」というコースがほぼ毎日続き、店長のヒトミちゃんとも仲良くなりました。

そうそう、店内は鈴木ヒロシさんという方がデザインしたそうでかなり和風味もあり木製ブランコがあったり巨大な木製次郎長顔面オブジェがあったり、奥はベンチになっていて静かに飲む事も出来てあっちこっち場所を変えて飲めるし踊れるのが面白かったな。今のクラブですね。

階下の布団屋さんから『ドンドンうるさい!!!!』という苦情もよくあったそうで、ヒトミちゃんが新宿の「MC1000」というお店に移ってしまい店長になった姐御、シズコさんは『はい!飛んじゃダメよ〜!』とフジタさんに言っていましたね。




これはシズコさんのアルバムから複写させていただいた物です。シズコさんは本当に良い方で、御夫婦仲も良く、今はうちの近くにお住まい。


この間、シズコさんの御還暦祝いがあったというのに行けなくて悲しい思いをしましたが、当人は全然この写真の頃からお変わりありません。


常連になって一人で行くとカウンターで飲んでY君とおしゃべりしたりしていましたっけ。
洋服メーカー時代の元・部下で同い年のミオちゃん(男)を呼んだら彼も気に入って常連になってしまい一緒に飲み歩きまくりました。池袋のレゲエクラブとか高円寺のバーとか中目黒とか色々。


彼はエンドーさんに紹介されたヒステリック・グラマーショップ店長のカヨちゃんと仲良くなって、私は酔っぱらって憶えていないのですがよく一緒に飲んだらしいです(笑)。

あんな美形を記憶しないとは損したな。



カヨちゃんのお住まいの近所に倉庫みたいなクラブがあるというのでヤロウ二人で行って、ミオちゃんがカヨちゃんを呼び出して三人で飲んでミオちゃんはそのままカヨちゃんのマンションにお泊まり。私は終日営業のスーパーでビール買ってタクシーで帰りました・・・。




その後、ミオちゃんはカヨちゃんのマンションに転がり込んで結局結婚しました。結構「美男美女」カップルだったな。今は大きな子供(成人)が二人いる幸せ夫婦です。



結婚式にはエンドーさん、フジタさん、私も呼ばれてスピーチさせられました。アっと言う間に話が終わったので御親戚の方々も面白く無かったでしょう。しかし次にミオちゃんの旧友が喋ると大ウケで何とかなりました。


私達のテーブルにはビール瓶とお酒の山。飲兵衛テーブルでした。


お引っ越しの時に手伝いに行ったら帰れなくなって泊まらせていただいた事もありましたっけ。あの頃のボウヤが今は成年か。歳を感じる。


あと、常連のイラさんとサトコちゃんも結婚して、御夫婦仲良く会社を経営しておられます。





イラさんはイラストレーター兼作家さんで、当時は恵比寿の事務所で忙しくお仕事なさっていました。エンドーさんもイラさんの作品のファンで部屋にイラストを飾っていたなぁ。






イラさんの御著書は私も愛読しております。先日サインいただきました。
永福町のレゲエ・バー「鶴吉」で(ヨシナガ君のお店)再会した時に。






常連では「ホセ」というスパニッシュもいて仲良く飲んでいましたっけ。まだまだ飲み仲間はいたのですが、あまり長くなるのもナニなので割愛。

それからあまり知り合いが来なくなって、空いた店内で一人寂しく飲む様になりショップも閉店したので足を運ばなくなってしまって何時の間にか次郎長BARは無くなっていました。


数年後、私が脳内出血と脳梗塞で倒れて口もきけないし歩けない情け無い状態になって入退院を繰り返し、リハビリを頑張って何とかライターの仕事をする様になりネットで次郎長BARの事を調べたら自宅から歩いて行ける所で次郎長BARにいたヨシナガ君がお店をやっている事を知り、行ってみました。そこは「鶴吉」というレゲエ・バーで相変わらずワールド・ミュージックが流れ近所の方々が集っているお店でした。






ヨシナガ君も結婚しており奥様にお会いしたら何だか見た事がある様な気がして「もしかしたら昔、次郎長BARに行ってませんでしたか?。」と尋ねたら『はい』という返事。その奥様、タエちゃんはヨシナガ君と同郷だそうで色々話し込みヒマな時に行く様になりました。


そしてそこの開店記念日。昔の次郎長BARメンバーが集まってイラさんやサトコちゃんにも再会。イラさんには著書にサインをいただきました。シオミちゃんにもお会いしてニコニコ♪。学生時代からの知人である「東京の夜遊びの帝王」ケンタロウさんにも再会しました。
早速ミオちゃんに電話して呼び出し、エンドーさんやシオミちゃん、サトコちゃんと昔話をしてシズコさん(何と近所にお住まいだそうで)手作りの「モツ煮込み」などを美味しくいただいて電車で帰りました。

今は自転車で行けるのですが夜間外出禁止で中々行けなく寂しい夜です

これ迄の酒飲み人生で最高のバー・それが次郎長バーでした。

When  I was able to so much drink beer, I did the manager of the Shop called Johnston&Murphy of Ebisu. 

That is great drinking days :-).
I hope meet The Jirocho Bar.And SHIZUKO-SAN.

I think The reagae bar"Jirocho" was No,1 of Japan.

I never foget there and them all.